僕のビジネス論

僕がなぜマーケティングの学習を始めたのか? マーケティングの師匠 下田武夫社長の存在

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僕がもともとサラリーマン時代に、新規事業の部署で仕事をしていた頃が2年ありました。2003年~2004年です。

そのころの福岡ドームで、陶磁器を中心とした伝統工芸を扱う業者・作者を一堂に集めて物販イベントを行うというものです。

当時の上司から、こう言われました。

(私が異動着任する前の)2月に、話は付けてるから出展の依頼をしてきて。 と。

私は、ほぼ何の考えもなしに、金沢市の金箔メーカーでは第一人者である、箔座さんを訪問しました。

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先方は私みたいな若造に対して、取締役の皆様が対応していただきましたが、その隣にライオンのような猛々しい方がいました。

その方が「下田武夫さん」です。

下田武夫さん(中央)

下田武夫さん(中央)

開口一番言われたのは、
「なぜ、我々が金を払ってまで、九州へ出向かなならんのだ?」という痛烈な一言。

私は、加賀百万石の伝統工芸の予習もせず、既に決まっている商談だと、高を括って出向いたことが、もろに裏目に出ました。

当然そんな話が決まっているわけもなく。

ものすごーく怒られたのを、今も如実に覚えています。

 

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下田さんは箔座でのプロデュースを請け負っておられ、ひがし茶屋街中ほどにある茶屋建築、箔座ひかり藏の設計、店舗全体のプロデュースをされました。

そんなプロから言わせれば、当時32歳の私なんか、ひよっこのひよっこ。。。。

結局、商談(というものでもない、お粗末な会談)のあと、
私は下田さんに連れられ、下田さんの会社、Groovy(株式会社グルーヴィー)へ行きました。(連れて行かれました)

事務所には、山のようなマーケティングに関する書籍があり、そこで「マーケティングとは?」の講義が、滔々と始まったのです。

こっちは、全く知識のない状態で、初めて聞くことばかりに、ただ驚くやら、自分の無知な度合いに嘆くやら。。。

見かねた、下田社長から言われた一言は

「お主に、加賀百万石の伝統工芸とは何かを、明日1日使って教えてやる」

と(笑)

そりゃ、翌日の用事が、全くなくなっちゃいましたので、素直についていくことにしました。

九谷焼、金箔文化、山中漆器などを歴訪しつつ、加賀百万石の伝統工芸が、なぜ生まれ、どう生かされ、今に繋がっているのか?の奥深さを叩き込まれました。

帰り際に言われたことは

「放送局という土壌に胡坐をかくな。常に学び続けよ」

ということでした。

下田さんに会ったことで「マーケティング」という言葉を知り、その翌年に、QBS(九州大学ビジネススクール)を会社に内緒で受験するきっかけとなったわけです。

今でも、金沢を伺うときには、ちょいちょい連絡を取るようにしております。

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そして、通常であれば卸売されない箔座さんの商品を私たちの店舗 HAKATA101は、特別に取り扱いさせていただいております。

アジアフューチャーの仕事を始めてからは、韓国人向けのインバウンド事業を金沢でも行う機会をいただき、以来北陸との深いつながりへと造成されていって今に至ります。怒ってくれる人ってなかなかないらっしゃいませんよ。ありがたい存在だなあと、つくづく感じたエピソードです

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コメント

  1. 畠 輝夫 より:

    下田さんとは同業者ですが40年金沢を離れていましたので下田さんはもうお忘れだと思います。下田さんの写真を偶然見つけてここに辿りつきました。面倒見の良いエピソードを伺いつい懐かしくなりコメントしました、高光さんもお元気でしょうか?一度訪ねてみます。

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