ラジオは何故面白くないのか?(14)

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先日、ラジオ業界にとってとてもありがたいコメントを
掲載しているサイトを見ました。僕の友人が先に見つけたものを拝借。
西日本新聞 デスク日記
「新聞記者なら、持っとけよ」。

 「新聞記者なら、持っとけよ」。警察担当だった新人のころに先輩に言われて以来、
今でもずっと持ち歩いている。背広のポケットの携帯ラジオ。事件や事故で呼び出されていた
当時は、遊びに出掛けても、定時のニュースに耳をそばだてていた。
radio04.jpg
 携帯電話でもテレビが見られる今、携帯ラジオはいささか時代遅れかもしれないが、
意外に重宝している。通勤のバスの中で笑えるネタを仕入れたり、屋台でホークスの
試合の途中経過に一喜一憂したり。こんなことじゃ後輩に「おまえも持っておけ」とは
言いにくいが…。
 ラジオを聴いていると膨らむのが想像力だ。松中選手の外野フライだって、
捕球されるまではホームランかも…、と期待させてくれる。リポーターが描写する
名所の風景も「見える」
 インターネットの普及で苦戦を強いられる“お地味メディア”のラジオだが、
一見より百聞の味わいもある。 (手嶋)=2006/04/20付 西日本新聞朝刊=

ありがたい。。。
ただ問題は、ここに描写されているだけのクォリティを送り出す側が維持できているか?
ということに尽きます。
この日記を書いた方が古い方であればあるほど、クォリティの低下に気づいていることと
思いますが。
特にここ数年でクォリティが一段と落ちたのが…「ニュース」
実はそのひどさが散見(ラジオだから「見」は、なじまんけど…)されます。
まぁアクセント違いや誤読やらという瑣末な話はもういちいちしませんが、
結局その瑣末な部分に支障が出る根幹は、「読んでいる」こと。
「読む」って何を?というと、「原稿」ですね。
?????? 原稿を? 読む??  あたりまえじゃん!
と、思われがちですが、これがそうではありません。
原稿を読んでるだけでは、絶対にリスナーに情報が届かないのです。
「伝える」ことが重要なわけ。では「読む」と「伝える」の違いは?
それはとても簡単。ニュースの概略、ポイントを「理解」しているか?だけ。
つまり知識のない人間が、その原稿を朗読しても意味は伝わらない。
なぜなんでしょうか?それがラジオを通じると、如実にわかります。
なーんか、妙な違和感を感じるわけですよ。
特に多いのが、経済のニュース。外為や日経平均のコメントなんか聞いてたら
「なんか変じゃなーい?」っていう違和感を感じてならない…。
以前僕が現場にいた際に、ニュースを「読みに来た(あえてそう書く)」アナウンサーに
その「読み終わり」がてら、声をかけた。
「おい、今お前が『読んだ』ニュースの概略とポイントをもう一回俺に『伝えて』くれ…」
「??? (ネタは不良債権処理だった) いや。。 その。。。。」
「お前、ひょっとして、意味がよくわからんで、『読んだ』の?そのニュース。。」
「はい、調べる時間がなくて…」
(いちいち調べるわけねーじゃん、と心で突っ込みつつ)
「三流やな、お前」
と、言い放ったことがあります、はい。僕はこうやってタレントやアナウンサーから
嫌われまくったわけです。ふふん。
まぁ三流ですよ。馬鹿が電波に自分の声載せてんだもん。
新聞記者の方々が、私たちの作るメディア媒体に価値を置いていたことに誇りと責任を
持たない限り、また関心が薄まってしまいます。
速報性と深み、その両方を求められる媒体である以上、実はニュースを伝える人間は
テレビ以上に経験値と知識、関心が高くなければならんのです。
そこに経営者以下、現場のディレクターまで全く気づいていない。
嘆かわしい。だから、ラジオは面白くない。


ちなみに。
土曜日、僕もラジオでニュースを聞いた。
社内でリポーターをしている女性が、土曜日にニュースを「読んで」いる。
後輩リポーターからは「憧れ」のようである。
そんな狭いコミュニティで上り詰めることへあこがれるこの連中って。。。
そもそも、聞き手である私たち一般ピーポーとは
価値観が違うようだ、と感じてしまった。
誰でもいいけどかしこくて上手な方が担当してくれんかな。ニュースだけは。

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コメント

  1. 「新聞記者なら、持っとけよ」。

    西日本新聞のデスク日記より。

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