お釣りの美学

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どうでもいい話だが、「お釣り」のもらい方のこだわりの話。
例えば「498円です」と言われて、500円を出す人。
この人は普通です。
財布を見て・・・
「8円ある・・・」
すかさず8円を出し、508円を払って10円のお釣りをもらおうとする人は
「お釣りの美学」を持つ方と存じます。
これが、さらに高等テクニックを要してくると・・・
「800円です。」
という要求に対し、すかさず
1300円を出す人。そしておもむろに500円をもらう人。
この方は、「お釣りの美学」で言えば、プロ級でしょう。
どうしても「5」という数字にこだわりたい。なんとか、500円玉や50円玉をゲットしたい・・
という、どうでもいい欲求とこだわりを貫いて、実現するのです。
そして何よりも。
お釣りの美学が成立するためには、レジの人との阿吽が必要。
支払う人間が出したカネを見た瞬間に、どのような「お釣りの美学」を描こうとしているのか?
これが瞬時にわからないと、調子が狂う。
800円の料金に対し、1300円が手元に出た瞬間に、
「おっと、この人は500円が欲しいんだな」ということを
理解していないといけない。
1300-800を一瞬躊躇したり、1000円を払えばいいのに・・・という野暮な算段を
頭によぎらせてはいけないのです。
このような「お釣りの美学」を持つ日本人。ところが、この美学が通じない場所があります。
それが「アメリカ」。アメリカ人の何が嫌いか?僕の場合、真っ先に思い浮かぶのが
この「お釣りの美学」を理解していない点。
とはいえ。習慣の違いを違いと認めず、相手に強制しようとすると、
それこそアメリカ人みたいになってしまう。
アメリカ人が「お釣りの美学」を理解しないのには理由があります。
それは、彼らが「足し算の文化」だから。
アメリカで買い物したことはありますか?レジでのやり取りは興味深いです。
87ドル75セントの料金に対し、100ドルで払ったとします。
すると・・・だいたいの人が、「クォーター(25セント)、&1・2ダラー、アーんど10だらー!」
つまり、87ドル75セントに対し、お釣りを少しずつ加えることで、100ドルに仕立てあげるような
表現をします。すなわちこれこそ「足し算の文化」。
アメリカに一人でわたって、英語ができずに散々いろんな人にいじめられて心が捻じ曲がっていた
大学時代には、この瞬間に「アメリカ人ってアホやなー」と思って、自分の心を慰めたものです。
まぁ別にどっちが頭がいいとかいう問題じゃないのですが。
要は「お釣りの美学」とは即ち「引き算の文化」を持つ国だけにて、成立しているイズムなのです。
故に、アメリカにおいて80ドルに対し、130ドル出そうものなら、「NO!」と怒鳴られます。
むしろ、余計に多くの金を出す客に向かって、「お前がアホちゃうか?」という目で見られます。
僕も見られた経験があります。「アホにアホって思われた~!」と悔しい思いをした経験が
たまに思い浮かびます。テキサス州の田舎町の出来事だったな。あれは。
で、なんでこげなことを急に思い立ったかというと、実は日本でも「お釣りの美学」が
通じなくなることが増えたからなのです。


それは、コンビニなどで働くワカゾーどもの前に、カネを払うときによく感じます。
800円に対し、1300円を出したとき、素直にレジに打ち込めばいいものの、
そのカネを見て、じーっと考え込んでいるのです。
「この人はなぜ1300円を出したのだろうか?」
という???マークいっぱいの表情をしているのです。
彼らの顔を見て感じるのは
「引き算が苦手」
ということに尽きます。「お釣りの美学」を理解しない人を見た瞬間に、
日本の学力低下を見て取ったのです。
アメリカ人に突っ込まれるかもしれん。
「本当のアホは、あんたの国におるっちゃないとね?」と。
こげな風に博多弁で言われたら、マジでむかつくやろーなー。

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コメント

  1. 岡ボーズ より:

     合計が680円だったら、1180円出すよ!当然の美学だよ!一平ちゃんに大賛成!

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