シュラマ ダーナ

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昨日に引き続き、またもや聞いたことのない言葉の話題。
「シュラマダーナ」
何かインドかそこらへんの言葉のにおいがしました。
すると。
案の定、そのあたりの言葉でした。
どうやらスリランカあたりの言葉だそうでして、上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)の教えだそうな。
って、そもそも上座部仏教自体が何かよく知らんので、詳しいことは、よくわかりません。
で、よくよく聞いてみると、シュラマダーナとは、2つの言葉の合成だそうでして
「シュラマ」とは「労働」のこと。
で、「ダーナ」とは「分かち合い」とか「托鉢」とか、
「与える」とかいう意味だそうな。
全くもって面白い言葉ですが、要は「助け合い」「ボランティア活動」あたりの意味合いを
指す言葉だそうで、もっともらしく、またある種ファッショナブルに語られている西洋での教えが
実はそれ以上むかしの時代から仏教徒の間であったという話を耳にしました。
そのあたりのマジメな話は、専門の方に譲るとしまして、生まれて初めてこの話を聞いたのです。
で、非常に驚いたと同時に面白さを感じたのです。
スマトラ沖地震でも多大な被害が出たスリランカをはじめ、インドネシアやタイ、ミャンマーでは
都会の発展とは裏腹に、昔以上に貧富の差が出ているそうな。
そんな、電気・水道といった基本インフラすらないような地域において
昔ながらの精神で、地域や年齢の差を越えた伝統的な習慣として今も宿っている考えのひとつが
この「シュラマダーナ」という教えだそうな。
まぁ僕の場合、元来 神も仏もたいして信じない、どちらかといえば唯物論者のような人間ですが
一方で感じるのは、人間って新しい倫理観や価値観を創造してそれに基づいて生きるくらいならば
既存の考え方で、どこかそれに沿って生きやすいものに、ついていきたいというか、
乗っかりたいみたいな気持ちがあるわけでして、実はそれこそが、巷にたくさんある「宗教」っちゅう
もんじゃなかろーかと思うのです。
故に、なんでんかんでん信じるつもりは毛頭ないですが、長年蓄積されてきた倫理観というものは
ある種「教え」として、引き継がれているのかなぁ?と、最近じじくさいことを思ったりするものです。
そう考えると、各宗教の中に刻まれている「教え」というものは、やはりあながち間違っておらず
早々無視できない、いわゆる人の歴史の産物みたいなもんだなと、思うきょうこのごろです。
それにしても、インパクトのある言葉やな。シュラマダーナね。覚えました。


ちなみに。
これは本当の話かどうかわかりませんが。
シュラマダーナの「ダーナ」から来た日本語があるそうな。
???と思ったら。。。
「旦那(ダンナ)」だそうな。
「ダーナ」の意味のひとつにあった「与える」あたりからの派生とかで
「家族に保護を与え、優しさを与え、食事を与える」みたいなとこから来たらしいです。
本当かどうか知らんけど。
でも、だとしたら。やはり日本語・日本の文化はアジアあってのものやね、って思うのですよ。

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コメント

  1. 岡ボーズ より:

     浄土真宗本願寺派の取り組みで「ダーナの実践」があります。パンフレットの中から抜粋すると以下の通りです。
     インドの《ダーナ》ということばが、中国で漢字に表現されるとき、音をとって《檀那(だんな)》となり、意味をとって《布施》となりました。“施し”をするということは、金品の施しだけではありません。やさしいこころで人と接していくことから、はじまるのではないでしょうか。【以上『ダーナ』より抜粋】
     献金、募金のようなことだけではなく、自分に出来ることから始めようという取り組みです。しかし、親切はむずかしい。「してあげた」こころがあると「こころから」の親切ではないし。でも親切を受けるとこころから「ありがとう」と言いたくなる。やはりむずかしい。 

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