青春学校

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あまり耳なじみのない学校名だと思います。
たぶん、世の中にそうない名前でしょう。で、どこにあるのか?
実は、北九州市八幡西区にある「夜間学校」です。
先日この「青春学校」の「10周年のつどい」におじゃましました。
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いったい何の学校かというと、在日韓国人・朝鮮人1世の方々のために
2世・3世をはじめ大学などで構成するボランティアの力で立ち上がった「識字学校」なんです。
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最近ではあまり話題にも上がらなくなりましたが、
日本全国で在日韓国・朝鮮人はおよそ60万人います。 参照URL
そのうち1万人が福岡県にいます。これって結構多い数字なんですよ。
で、なんで福岡に多いのか?戦前の福岡・・・というか北九州には
日清戦争後にできた「八幡製鉄所」っちゅうのがありまして、
鉄鋼の原料である石灰石・石炭の産地が筑豊・豊前・粕屋のあたりだったんです。
戦前・戦中はこの地区での労働者が一気に増えました。
炭鉱労働や鉄鋼生産の現場での労働などなど・・・。それはそれはとても過酷な現場でした。
その中ので働く人たちは、もちろん強制的に連れてこられた人、
あるいは家族の口減らしで実家から出された人、
きちんとした就職先として募集を受けた人、
夫を追って来た妻や子どもなどなど・・・その実情はさまざまです。
在日韓国人・朝鮮人と日本人との間で強制連行の話をする際に
「強制連行」が「あった」「なかった」がいつも議論になります。
議論になる理由は「『強制』されて連れて来られた人」「『自主的に』来た人」が存在するから・・・、
そして一番かわいそうなのが、どちらにも当てはまらない
「『已む無く日本に行かざるを得なかった』人」が存在するからです。
已む無く来た人が 「『自分の意思で』(好きで)来たんだろ!」と、
事情を知らない日本人から、心無い主張をされることが何よりも最も気の毒なことです。
これらの事情を公に証明できるものがないから、「あった」「なかった」が、
誰の責任かもわからぬまま、いつもいつも議論が堂々巡りになってしまうのです。
当然のことながら併合された後の韓国は、日本の一部として扱われた上に
戦時中は「国民徴用令・国家総動員法」の名の下に、財産や人材の吸収があったので、
それぞれの瞬間が「強制」だったか「半強制」だったか「だましてピンハネ」したか・・・
それはそれは地区・人・会社・時期など、様々な様相を呈していたことでしょう。
ただひとつだけ等しく確実に言えることは、韓国・朝鮮籍の人たちは
冷遇された職場環境のもとで、不当な差別を受けていたことです。
植民地支配という観点からは「格安な(ほとんどタダに等しい)労働力」という差別、
そしてそれ以上に許せないのは「根拠のない人種差別観念」という差別ですね。
お金や生活、職場環境以上に、人間関係における差別ほど、
お互いを嫌な思いにさせるものはありませんよね。
現在識字学級に通っている おばあさんたちは、
戦前・戦中は「同じ日本人」でありながら、本来の日本人より苦しい経済事情、
厳しい労働条件、不当な差別・・・、
そして戦後は突然「外国人」となってしまい、社会保障やさまざまな生活環境で冷遇される・・・。
まさにこういった戦前~戦後の歴史背景、つまり戦争が産んだ「現在の」犠牲者なんです。
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今から6年ほど前、青春学校に通うひとりのおばあさんを取材させてもらいました。
日本語も韓国語も「しゃべれて聞き取れ」ますが、「読み書き」をどちらもできません。
目の前にある字が、模様に見えるそうです。想像できますか?
そんなおばあさんも、今は肉筆でがんばって
なんとか小学校3年生程度の日本語を読み書きできるまでに至りました。
僕がインタビューをした時、こんなことを言っていました。
「わたしね、生まれ変わったら、いっぱい勉強したい!」と。
この言葉に、どれだけの重みと、当時の時代が生み出した罪とが含まれていることでしょう?
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戦争の爪あとの話は、逐一みなさん聞きますよね。
で、その中で補償問題や教育問題などが、現在の外交問題と絡めて駆け引きの材料に
されていることもご存知でしょう。
現に、かつての韓国や中国、今の北朝鮮は外交問題の切り札として使っていました。
仮に僕らが外交担当になったとしたら、どれだけ反感を買おうとも
「補償問題は解決済み!」って言いますよね。そりゃ当たり前。
だって足元見られたら国益損ねるし、どっかでケリつけないと、やっぱ未来を語れないもの。
ボクがその一方で未だに非常に腹立たしく思うのは、
戦後60年たとうとも、未だに青春学校のおばあちゃんたちのような、
「現在の」戦争の犠牲者が報われないこと。
世の中ではマイノリティかもしれないけど、原爆の被爆者と同じくらいの手厚い
保障やケアを受けてしかるべきだと思うけどなぁ。
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毎日の生きていく過程で、自分の名前を日本語で書けないというハンデを追う・・・
こんなつらいことってないでしょ。この学校を支え続ける在日韓国人・朝鮮人2世3世の
人たちに畏敬の念を示さずにはいられません。
それとともに微力ながら何かできないものかと思うばかり。
取り急ぎは、こういう事実をひとりでも多くの方に知らせることが、僕にできること。
皆さんも、心の片隅に知っておいて下さいね。
最後になりましたが、裵さん、柳井さん、有吉先生、その他関係者の皆様、温かいご歓待
誠に痛み入ります。これからもどうぞお元気で。お力添えできることがあれば、いつでも・・・。


それにしても気づいたら、1ヶ月連続で日記を書いていた。
きょうはちょっとまじめな話を書いてみた。
そういう一面もあるのです。ってなわけでm(_ _)m

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