邪道って何だ?

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先日の話。
今話題…かどうかは知らんが、面白いと前評判の「有頂天ホテル」を見た。
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2005年/日本/2時間16分 配給:東宝
キャスティングから明らかなごとく、いわゆる典型的な三谷ワールドが
銀幕の中で展開されていた。
彼の作品のベースは明らかに舞台であり、ライブ感がある。
今回の映画も同じフレーム内で同時進行のミニストーリーが複数展開する
サイマルな構成になっていた。
でも何かしらの違和感があり、映画が終わった後も、僕はいったい何を見たのか?
映画を見終わったときとは異なる、何か釈然としないものが残ったのでした。
それが何か最初はよくわからず、しばし考えてみました。
ということもあり、作品の内容をもう一度思い出すと、画面の構成が非常に特徴的でした。
一言で表すなら「ストローク」での撮影ばかり。つまり「カット」がない。
ひとつのカメラがずーっと回り、その「舞台」内で複数のシーンが展開される。
「カット」が無いということは、「カット割り」が無いということ。
僕個人の考えでは、この表現方法って映画という文化においては「邪道」だと思うわけです。
実際に「有頂天ホテル」の中には、「普通ここでカットを割るだろ!?」という突っ込みどころが
満載で、繰り返し続くカメラのパーンに、ちょっと見づらさを感じることもありました。
そもそも論ですが。。。。
映画のカット割りとは、数々の奇才たちが表現方法を重ねに重ね、より興味深いものが
生まれてきたわけです。迫力や表情などの表現です。
通常、言われてもなかなか気づかないことですが、例として北野武の座頭市の予告編が
まだアップされたので、見てもらうとわかるかな。
人を斬るシーンだけで、その緊張感を表すためにいったい何カットの撮影が行われているか?
そのカット割りの妙こそが映画のあり方の根本だと思うのです。。。というか思っていたのです。


とはいえ。
今回の映画は大変面白かった。内容が。
もともと彼の作るシットコムを見ても、
その奇才ぶりは常識では考えられないレベルだと思うわけです。
そのディレクションをきちんと受け入れて表現する三谷作品の俳優陣との
息の合い方は絶妙だと思うし…。
つまり映画の手法では「邪道」でも、それが受け入れられれば、「新しい手法」になる。
そういうものかもしれません。
北野武も未だに邪道という人がいる。
立川談志も林家三平も振り返れば邪道。
実はここだけの話ですが、
テレビの生中継も、最も難しいのはワンカメ中継。
カメラ台数が複数ある方が、めっちゃ楽なんです。
ワンカメだと演出を1つでも間違えると、すべてが終わるという演出側のスキルを
非常に求められるからなのです。だって逃げられないでしょ。
ということは、ストロークでの撮影にこだわった三谷幸喜って、演出の天才なんだね。
そういうことを見せ付けられた気がした。

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コメント

  1. ゼミクジラ より:

    ワンカメショー。
    予算、人員のないケーブルテレビ局にとって宿命の手法ですね。
    ワンカメは、カメラマンの視点=視聴者の視点なんです。
    これを裏切っちゃいけない。
    我々は、幼稚園のお遊戯会を撮影して放送するんですけど、
    これがワンカメショーでやると結構難しい。
    ワンカメで物語を壊さないように、なおかつ園児が画面に出ている
    時間を均等にしなければならない。
    (結構保護者から苦情が来るんです。うちの子の出番が少ないって)
    顔のアップを撮りすぎると、物語がまったくつかめなくなるし、
    ステージの両端で全く別の動きをされると引き絵でしか
    撮影できない。カメラを動かすときも、音楽に合わせて、
    見た時に違和感のないスピードで動かさなきゃならん。
    といったふうに、ワンカメはマジで難しい!
    野球になるとさらに難易度が増します。
    ボール追いながらランナーおさえるなんて、
    一年目の自分にはできません。
    入ってみて「ケーブルテレビ業界って、
    地味だけど難しいことやってるな」って思いました。

  2. ippei より:

    ゼミクジラ様
    おっしゃるとおりです。
    ワンカメ勝負の場合、アップを多用することは
    正直なところ、あまりお勧めできません。
    基本はワイドのフィックスです。
    その上で、対象者を含むその状況が
    どう動くかを「描け」とよく言われました。
    さらに…
    「ズームインはカメラがするべきでなく
    見ている視聴者が勝手にすべきことだ」
    とか…
    「ズームしてアップを撮ることは
    それ即ち、カメラマンの勝手な判断で
    周りの情報をそぎ落としただけ。
    そんな権限がお前たちのどこにあるのか?」
    …などと、怒られたものです。
    撮影をする人たちは、状況を根気よく収録したり
    同じサイズで待つことが怖いからこそ
    サイズを変えようとするのです。
    フレーム内で起こるであろう物語を
    着実に収録していくことこそ、実は
    放送局人である私たちの務めなのでは?
    と昔から思っている男ですm(__)m

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